【大学院に進学した理由】

こんにちは😃!

 

今回はぼくが大学院に進学した理由をお話しします!

 

簡単に言ってしまえば働くことから逃げたんです。教育学部なので教員になるつもりでいましたが大学4年生の時の教育実習で自分の実力不足と何かしらの違和感を感じました。すぐ働くよりもまだ勉強しようと思い進学を選びました。

 

「実力不足」はぼくの勉強不足です。言い訳をすると、大学の成績はまあまあ良かったんです。優等生扱いされて自分はできる方だと思っていました。単純に自惚れていたわけですよ。

 

「違和感」は先生のモチベーションの差が激しすぎること。学校としてチームとして子どものために全力で走りつづけるのが教師だと思ってましたが違ったようです。大学で学んだことなんて活かせる環境も雰囲気もなかった。改めて考えると違和感どころか絶望でした。

 

 

なんでそうなったか考えました。

 

結局自分はどうしたいのか?

自分が本当に教員になりたいのか?

教員になって何がしたかったのか?

現場の環境を考えてみると…

 

そもそも本気で自分と向き合ったことがなかったことに気がつきました。

 

ぼくは小学生の頃から優等生を演じてきました。演じているうちにそれが当たり前になって自分の感情とか自分の考えで動くことをやめていたんです。完全に思考停止して大人のいいなりになっていました。先生からしたらぼくの存在はありがたかったと思います。先生がいないところで先生の小さな分身のように動くわけですから。そのせいで同級生からは嫌われ、先生には気に入られていきました。同級生に仲良くしてもらうより大人に褒められたり認められた方が嬉しかったんです。

 

この記事を書いていてやっと気づきましたが、この頃にはぼくが教員を目指すレールの上に乗っていたようです。

 

中学2年の時に部活の顧問に有名な厳しい先生がきて成績が上がった。でも、先生が異動になって指導者がいなくなった時、僕がかわりにやらなきゃって思って、それが正しいと思ってめちゃくちゃ後輩に厳しくした。自分はキャプテンでもなかったのに。嫌われてもいいとは思ってたけど厳しくすると同時に相手のことを傷つけてきたことを振り返ると申し訳ないと思う。勝つためになら何をしてもいいと思ってた。先生がそんな感じだったから。スポーツとか部活はそれが結果につながって、それを求められていると思っていた。今もそう思ってる人沢山いると思うけど絶対違うと思う!

 

 

その流れで高校でも先生の求めることばかりしてきた。中学の部活で結局失敗したから高校では多少言いなりではない生き方をしたけどそれもまた教員を目指す意志を強めていった。

 

部活だけで言えば下手な指導者よりもぼくの方が正しいと思い先生の言うことでも退けてきた。こんな先生がいるならぼくが指導したほうがいいと思い始めたんです。そこでぼくは部活の指導に興味を持っていました。

 

先生みたいな生徒で部活も教えたい。きっと担任の先生もそれをわかってか、進路相談の時に教員にならないかと言われました。

 

先生に言われたものだからその通りだと思いその道を選びました。部活を教えたいなら保健体育がいいよという話だったので保健体育科を受けることにしました。結局進路はそこに決まって入学しました。

 

入学してしまえばほとんどが教員になるのでそこでぼくはほとんど思考停止していました。

授業はちゃんと受けるけど卒業のために必要だからというモチベーションでしか受けていなかった。でも、教育に関するある程度新しい考え方を教えてもらったり、いままで受けてきた教育の良かったところ悪かったところ、本来どうあるべきなのかだったりと多くのことを学びました。

 

それを踏まえて教育実習にいったんですが、冒頭で述べたように、教員間のモチベーションの差や、働き方自体も、環境もよろしくなかった。自分の努力が足りないことを棚に上げてしまうけど、この世界に入るとぼくは潰れるなと思いました。

 

思考停止したままであれば教員になっていたと思います。逃げたことでぼくは自分自身と向き合う時間を確保できました。なりたい自分、やりたいこと、好きなこと、なりたくない自分、やりたくないこと、嫌いなことなど考えてもはじめはなにもわかりませんでした。自分の意思を殺してきたからです。自分の人生を生きてきた気がしません。なにをやってきたんだろうって。母は女手一つで育ててくれたので困らせない程度に自分の意思で物事を選択していけばよかった。この道を選べば教師や親が喜んでくれるだろう。そんな思いは捨てるべきでした。

 

大人からすればいい息子なんですけど、自分が自分の味方でない状態が続くんです。求められれば応えるし強いられれば我慢する。

 

自分という存在は身体だけ。

思考は停止状態。

ある意味コントロールされていた。

 

そう気づくことができました。

 

自分で考えることは大変です。

答えはないから。

 

他人の求めていることには答えがあるので楽なんです。

 

ここから先はどう生きていくかまだ決まっていません。まだ自分のことを十分に理解できていないから。それでも他人の人生を生きるよりも自分の人生を生きたいと思って考え続けています。

 

大学院に進学した理由は逃げでした。でも結果としては自分と向き合う時間を確保できました。この選択が良かったかどうかはこれからの自分次第。

 

 

大学院では教育学修士を取得する予定ですが修了するかどうかも確実ではない。どうせならお金も払っているので取ろうとは思いますが、休学や中退も厭わずに自分の生き方をさがしていきます。

 

つまらない話でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます!

 

ぼくはやっと自分の人生がはじまりました。

 

まずは動いて動いて自分の生き方を見つけます。どうか温かい目で見守っていてください。

皆さんも一緒に進んでいきましょう!

 

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