【自己認知記録6】9月19日2018年②

【ジムバイト】

 

ジムのバイト先は家から遠いが大学から送り迎えをしてもらえる。

バイト先が同じおばちゃんだ。

孫のいるおばちゃん。

偏見の強い昔ながらのおばちゃん。

言い方は悪いが話がつまらない。

自分では笑っているけどぼくはいつも愛想笑い。相槌もそこそこ。

本当は無視したい。

Twitterみたりブログ書いたりしたい。

そんなことしないけど。

その人は若者の気持ちがわかることをウリに仕事しているけどぼくの感覚には合わない。

たしかに優しいがこのおばちゃんはかなりのえこひいきをする人でたまたまぼくが気に入られているからそう感じるわけで、評判はあまり良くない。

ぼくが人当たりのいい対応をするからきっと気に入られたんだろう。

これもまたぼくが得た負の遺産の仕業だ。

誰にでもいい顔してると自分にとって嫌な人とも付き合わなきゃいけなくなる。

自分に素直に振舞うことも実は必要だったのかもしれない。

ただ、おかげでいい情報を回してくれることもあるのでものは捉えようだ。

 

ジムのバイトでいいことは元気な人の姿を見ることができることだ。

病院や介護施設と比べると活気に満ち溢れている。

病院に10日ほど入院したことがあるがやはり病院はテンションが上がるわけでもエネルギーを感じるわけでもなかった。

施設に実習に行ったこともあるがほのぼのとした日常と狂気の入り混じったカオスだった。

それと比べると気分は悪くない。

 

 

比較的年寄りの多いのがうちのバイト先の特徴だがたまに若い女性がいる。

きっと他のジムのバリバリ感や人の多さ、ゴリゴリマッチョのザ・トレーニング感を嫌ってのことだ。

ぼくにもその気持ちがわかるのでうれしく思う。

自分のペースでトレーニングしたいのにそうじゃないああじゃないとトレーニングの玄人に言われるのは嫌なんだ。

ぼくはかからない限りトレーニングについてアドバイスもしない。

それがうちのジムの良さだと思っているからだ。

困っていないか、体調はどうかを見ていること。

気持ちよく挨拶をすることが1番重要な仕事だ。

 

 

ジムやフィットネスクラブが増えた最近。

ぼくはいつかジムを経営したいと思っている。

その時は会員さんが気軽に自由にトレーニングできるようにしたいと思っている。

 

 

そもそもトレーニングの良さは他のスポーツと比べて上手い下手がつけにくいこと。

やればやるほど成果が目に見えることだ。

 

強制的にやらされることや上手い下手が区別されて他人と比較されることは学校体育だけで十分だ。

それが嫌だけど自分の健康のためや気晴らしのためにジムへ来ている人も一定数いるはずだ。

 

ぼくは部活動大好き人間だった。

 

そのせいで中学では強制的に厳しい練習を後輩にさせることはあったが上手い下手で区別することはなかった。

 

下手でも一緒に運動してくれるだけでめちゃくちゃ嬉しかったからだ。

続けている人には理由がある。

強くなりたい。

楽しい。

そんな気持ちが少なくとも心のどこかにある。

それでいて上手くなれたらラッキーだし。

それで勝てたら万々歳だ。

 

上手くたって強制されるのはやはり苦痛だ。

勉強しようと思っていたのに親に言われてやる気をなくすアレだ。

 

以上がぼくが自分のペースで自分のやりたいようにトレーニングできるジムを作りたいと思っている理由だ。

 

スポーツを教える人は誰もが知っているように生涯にわたってスポーツに関わっていってほしいという願いがある。

 

きっとこれを実現するには学校体育や競技スポーツで生まれた負の遺産をこれ以上残さないことや取り除くことが必要である。

ぼくの人生が終わるまでにこれを達成したい。